ウエスト・サイド物語 シネマティック・フルオーケストラ・コンサート

作品詳細

ウエスト・サイド物語 シネマティック・
フルオーケストラ・コンサートができるまで

国境を越えて愛され続けるミュージカル「ウエスト・サイド物語」は、
"ニューヨーク”を舞台にした作品のうち、世界で最も有名な物語の一つだろう。
ギャングに牛耳られたマンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドを、実に生々しく描いている。
だがこの作品のブロードウェイ、そしてその後の映画への道のりが全く別の街から始まっていたことを、皆さんはご存知だろうか?

[スティーヴン・スミス]
エミー賞にもノミネートされたドキュメンタリー・プロデューサー、ジャーナリスト。

1955年の夏、36歳の作曲家レナード・バーンスタインは、ハリウッドボウルで指揮をするためにロサンゼルスにやってきた。その年の8月、脚本家アーサー・ローレンツとバーンスタインのビバリーヒルズ・ホテルでの再会が、行き詰まっていた共同製作中のミュージカルの企画を蘇らせるー。

遡ること7年前、始まりは振付家・演出家ジェローム・ロビンスからバーンスタインへのアプローチだった。バーンスタインの日記にその時のことが記されている。 「素晴らしい提案を受けた。イースターの過越祭のスラム街を舞台にした、現代版『ロミオとジュリエット』。ユダヤ人とカトリック教徒の間の高い壁・・・路上の喧嘩、二人の死ーーーまさに取り組みたいテーマ。」だがそのアイデアは1955年、ロサンゼルス滞在中のバーンスタインとローレンツが、ラテン系ギャング問題に関する新聞記事を目にする日まで眠っていたのだった。バーンスタインの脳裏に浮かんだラテンアメリカ風の楽曲は、彼の創作意欲を奮い立たせた。そして、当時25歳の作曲家スティーヴン・ソンドハイムが作詞の身を提供する契約に渋々合意した時、作品は動き始める。

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幾度に及ぶ改訂と資金集めの末、1957年にブロードウェイで開幕したミュージカル「ウエスト・サイド物語」は、様々な反響を呼び起こした。熱狂的な賞賛を贈るものがいる一方で、唖然として出て行く者もいた。後者の原因となったのは、ギャングの武力衝突や偏見の描写。退場者の数は、ブロードウェイでは前例がないほどだったという。その年のトニー賞で「ウエスト・サイド物語」は相手にされず、より親しみやすい「ザ・ミュージックマン」が受賞した。

だが、ニューヨークと爆発的なヒットを記録したロンドンの観客たちの反応は素早かった。 登場人物の個性を見事に表した情熱的なロビンスの振付、ローレンツによるシェイクスピアの独創的な翻案、<トゥナイト>や<マリア>をはじめとるソンドハイムの詞に彩られた、バーンスタインのゾクゾクするような楽曲のもつ革新性にすぐに気づいたのだ。ロビンスはロバート・ワイズと共に映画版「ウエスト・サイド物語」(ユナイテッド・アーティスツ配給)で監督を務めることとなる。人気スター、ナタリー・ウッドとリチャード・ベイマーを主役に迎えて1961年に公開された作品は、批評家、観客からの絶大な支持を得て、興行的にも大成功を収めた。

映画に出演したジョージ・チャキリス(ベルナルド役)とリタ・モレノ(アニタ役)は、アカデミー賞で最優秀助演男優賞と助演女優賞をそれぞれ受賞。その他、美術監督・装置賞、撮影賞、舞台版に続いて映画版にも参加したアイリーン・シャラフへの衣裳デザイン賞、編集賞、ミュージカル映画音楽賞、録音賞、ロビンスとワイズへの監督賞(同部門で2名で同時受賞するのは初めてのこと)、そして作品賞の計10部門を制した。さらにロビンスは映画における振付の功績を評価され、アカデミー賞名誉賞も同時受賞している。

今回の「ウエスト・サイド物語」シネマティック・フルオーケストラ・コンサートもまた、革新的な試みだ。MGMは、1961年以来見られなかった細部をもクリアに再現した、HDリマスター映像を制作。
そして、パリに拠点を置くオーディオナミックス社と、音響復元技術の王手チェイス・オーディオ社(デラックス社傘下)によって開発された新しい音響技術が、統合されたサウンドトラックから一つひとつの音源を分離することに成功した。オーディオナミックス社は歌、台詞、効果音をトラックに残しながら、オーケストラの演奏部分のみを機械に認識させ、分離させる新技術を開発。これによって本公演では、映画の音源である歌に合わせてオーケストラが生演奏を行うことが可能になったのだ。

映画製作時の演奏で使われたオリジナルの編曲資料は全てなくなってしまっていたが、レナード・バーンスタイン事務所のエレノア・サンドレスキーによる14か月に及ぶ調査の結果、アメリカ中の図書館のアーカイブや個人のコレクションの中に宝物ともいうべき資料が数多く見つかった。また、映画版の編曲を担当したシド・ラミン、指揮者・音楽監督のジョニー・グリーン、監督のロバート・ワイズ、プロデューサーのウォルター・ミリッシュの個人所蔵アーカイブからも数々の資料が発見され、サンドレスキーは映画版の全スコアを完成させるのに必要な素材の端々を揃えることができた。

本公演の生演奏用にオーケストレーションを復元・再構築したのは、バーンスタイン事務所のシニア・ミュージック・エディターであるガース・エドウィン・サンダーランドだ。貴重な資料を編纂した彼はこの時、1961年のブロードウェイ版スコアに最終段階での改訂が加えられ新しく生まれ変わった映画音楽が完成するまでの過程を発見することにもなった。

これらすべての結晶として出来上がったのが、「ウエスト・サイド物語」の歴史に新たな1ページを刻むであろう「ウエスト・サイド物語」シネマティック・フルオーケストラ・コンサートなのである。まさにアメリカ音楽とハリウッド映画の粋を極めた、堂々たる作品の完成と言えるだろう。

新しいオーケストレーションと譜面の創作

「ウエスト・サイド物語」ーそれはブロードウェイで誕生した、最も洗練されたオーケストラ音楽である。

[ガース・エドウィン・サンダーランド] 
レナード・バーンスタイン事務所のシニア・ミュージック・エディター「ウエスト・サイド物語 シネマティック・フルオーケストラ・コンサート」では音楽スーパーバイザーと編曲を務めている。

バーンスタインは指揮者・作曲家として培ってきた全てを、この楽曲の随所に散りばめた。
稀に見る緻密さを備え、非常に複雑で、それでいて聴衆を惹き付けて離さない澄み切った明瞭さを持つ、まさに恐るべきスコアと言えよう。

舞台「ウエスト・サイド物語」の映画化が決定した時、指揮者としての仕事で多忙を極めていたバーンスタインは、シド・ラミンとアーウィン・コスタルに舞台版スコアを映画向けに編曲する作業を託す。彼らは舞台版同様、28人編成のオーケストラを念頭に置いて編曲を手がけたが、MGMの巨大なレコーディングスタジオという恵まれた環境ゆえ、時には100人近い大規模なオーケストラ編成で収録に臨んだこともあった。ある時など、サクソフォン6本にトランペット8本、特に迫力が必要なパートではシロフォン5台とピアノ5台を使ったこともあったというから驚きだ。

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この「ウエスト・サイド物語 シネマティック・フルオーケストラ・コンサート」に向けて、映画版の編曲を生演奏用に再構築する際の課題 ーそれは、バーンスタインによる舞台版のオリジナル編曲とそれを超える大作となった映画版の編曲とのバランスをどう取るかにあった。
これは音楽的な観点と演奏時の物理的な観点、両方での課題だった。まず音楽面で言えば、収録音源は必要に応じていかようにもミキシングしたり調整を加えたりすることができるという点。例えば、トランペット8本のワイルドな音色を、ささめくような静かな響きに抑えることもできるし、もの憂げなフルートのソロを大音量で轟かせることも可能だ。ところが生演奏の場合は、ミュージシャンたちが響かせる音色がそのまま聴衆に届く。当然ながら後処理を加えることはできないのだ。さらに現実的な話として、たった30秒の出番のためにピアノ5台を用意するのは賢明とは思えないし、言うまでもなく、舞台上にピアノ5台分ものスペースを確保できるはずもなかった。

そこでまず、私は舞台版のオリジナルスコアに立ち戻り、その譜面に映画用のアレンジとして施された変更を反映していくことにした。例えば、<プロローグ>のあちこちに加えられた計5分間の追加箇所を反映したり、映画用に書き下ろされた背景音楽や場面転換のきっかけ音をスコアに落とし込んだり<クール>や<クラプキ巡査>に代表される曲順の変更に合わせてスコアを組み替える、といった作業である。

映画上映とシンクロさせた生演奏を行うにあたり、どういった音楽表現が効果的に聴こえるだろうか。それを見極めるため、私は舞台版と映画版両方の編曲をつぶさに研究した。どちらか一方のスコアをそのまま用いるのがベストな選択であることもあったが、大抵は両方の特徴を救いあげた新しいスコアを作りなおさなければならないことがほとんどで、これは相当の創造性と根気の要する作業だった。例えば先述したシロフォン5台とピアノ5台のパートはわずか30秒のシーンだが、それをシロフォン3台とピアノ1台の演奏でも十分満足できるまでに書き直すには、数週間もの時間がかかった。さらなる難題は、映画版のダンスシーンなどで演奏される打楽器のきっかけ音の多くが、実は収録時の即興によるものだったことだ。<マンボ>のトランペットソロも然りで、私はサウンドトラックから聴き取って書きおこす作業をせねばならなかった。そもそも、1961年の映画版のフルスコアはこれまでに一度も見つかっておらず、存在したはずのパート譜は紛失してしまっていた。
完全な形で見つかった映画版の楽譜資料は、指揮者用のショートスコア(40段近いフルスコアを3〜4段のパートにまとめた簡易スコア)のみ。フルスコアを再構築する際に極めて重要な情報を省きに省いて形になったのがショートスコアなのだから、その譜面をもとにフルスコアを作り直すのが甚だしく厄介なのは当然といえば当然なのだ。

スコアの再構築を仕上げた後に続くのは、新たに完成した譜面と映画版のサウンドトラックアルバムとの照合作業だ。映画版の音源には映像編集者の手で数々のカットや微調整が加えられており、そうした細やかな変更は残された楽譜資料には反映されていなかった。こうしたディティールをも譜面に反映する必要があったのだ。まるで深い森のように複雑な音楽の中から、カットされた0.25秒分の音や合間に差し込まれた1小節分を見つけ出したり、生演奏では不可能なフェイドアウトの表現方法を見出したり、フェイドアウト/インでオーバーラップしている部分をどう処理すべきか考えたり・・・・このような微細にわたる作業が不可欠だった。

最後に残された作業は、映画とシンクロして生演奏する際に指揮者が必要とする情報を、正確にスコアに落とし込むこと。
それには幾つかのシステムを用いることになった。まず、指揮者とミュージシャンがヘッドホンを通じて、劇中のそれぞれのキーポイントで映画のテンポを示すきっかけ音を聞き取れるように設定した。さらには指揮者用のビデオモニター画面上で、曲の導入部や終わり、テンポの上げ下げ、先述のきっかけ音が入るタイミングなどを知らせるカラーバーを表示したり、そうした表示がより見やすいフラッシュライト機能を付加したりもした。本公演におけるこれらのシステムは、映画音楽史学者としても知られ、2011年6月にハリウッドボウルにて初演された「ウエスト・サイド物語 シネマティック・フルオーケストラ・コンサートにてロサンゼルス・フィルハーモニックを率いた指揮者デヴィッド・ニューマンの考案により具現化された。
「ウエスト・サイド物語」の音楽に携わることができるのは、私にとって常に至福の喜びである。何度聴いても<マンボ>はスリリングとしか言いようがないし、<サムホエア>には我を忘れて聴き入ってしまう。
これほどまで精巧に創作された100分もの映画音楽を再構築する仕事は、何年もの月日を要する極めて貴重な挑戦であったが、完成された時の達成感は言葉では言い表せないほどだった。本コンサート用の新スコアの完成を祝福してくれたシド・ラミン、新スコアの音楽制作にあたって素晴らしい仕事をしてくれたピーターウエスト、スコアの照合作業に心血を注いでくれたトム・フーパー、そしてこの偉大なる映画音楽の再構築に際して直面した数々の難題を受け、惜しみない助言とサポートをくれたデヴィッド・ニューマンに心からの感謝を捧げる。

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